2007年03月24日

メディア・ポイントMePoの構成の試論:即非的一性としてのMePoと実数軸上の相剋・相生分極性

メディア・ポイントMePoの構成の試論:即非的一性としてのMePoと実数軸上の相剋・相生分極性

テーマ:メディア・ポイントMedia Point

この問題は、最高の難問の一つであるし、また、プラトニック・シナジー理論PS理論における最核心の問題であり、最重要な問題であると言える。

先に、いろいろ思考実験したが、今一つ不明瞭であるから、さらにここで検討を続けたい。

虚数軸と実数軸との交点であるメディア・ポイントMedia Point(以下、MePo)性質については、ほぼ解明されたと言っていいが、残る問題は、Mepoの構成・構築・構造性の解明である。

超越的差異性と現象的同一性との交点の構成はいかなるものなのであろうか。

異質なもの、不連続なもの同士の交点ないし交叉(交差)とはどういうことなのか。

これまでの大半の哲学・理論の失敗は、両者を連続概念で結びつけてしまったことである。これについては、多く述べたのでここでは省略する。

ここでも直観で述べよう。

超越的差異i*(-i)は、MePoにおいて、現象化するが、現象化とは基本的には、同一性化である。だから、現象同一性化と言ってもいい。

そして、意識において、同一性が支配するが、内的身体において、いわば、潜在意識として、差異=特異性=差異共振性が存してる。これは、いわば、暗い意識である。dark consciousnessである。

意識は、外界の光に応じて、同一性認識を構築する。このとき、言語的認識が同一性認識の道具となる。

しかし、内的身体にある潜在意識は、まだ、不分明である。これは、内観によって、省察を受けないと暗いままで、いわば、分裂したままである(思うに、二重人格の隠れた人格は、この潜在意識と関係しているだろう。これについて説明すると長くなるので、簡単に言うと、これは、同一性意識とりわけ連続的同一性自我意識によって否定された差異意識であるが、否定されているので、反逆的になっていると思われる。

また、デカルトのコギトは、内観による認識、自己認識ではないだろうか。これを、連続的同一性自我認識とすると、近代的自我認識となってしまう。コギトは、複雑であり、本来、内観的自己認識と見るべきであろう。)

内的身体にある特異性が、個におけるMePoであると言っていいだろう。

では、どうして、現象的同一性の世界にあって、超越性と結びつくMePoが個内に存するのだろうか。

一般に、自我認識(連続的同一性自我認識)は、特異性を否定・排除・隠蔽して、忘却しているのである。とりわけ、男性の認識においてそうである。

先に、MePoの1/4回転(スピン)を考えたが、そう考えると、超越的MePoの存在の説明が難しくなるので、そう考えない方が、現象界における超越的MePoの存在は説明できると考えられる。

MePoは、虚数軸のゼロ・ポイントであるし、同時に、実数軸のゼロ・ポイントである。

だから、MePoにおいて、虚数的超越性と実数的同一性が即非的に共存・共立・並立していると考えられよう。

これが、先にも述べたが、最高の微妙さ、いわば、最奥義、最秘儀、最妙味である。奥の院である。

そう、即非的一(いつ)としてMePoを考えるべきだと思う。一如ではなくて、一と見るべきである。

即非的一ないし即非一としてのMePoである。

即ち、MePoとは、超越的差異=虚数軸的差異であると同時に、現象的同一性=実数軸的同一性であるとということである。

そう、絶対矛盾的自己同一としてのMePoである。

即非的一としての、いわば、不思議があるのであり、それが、同一性論理、同一性意識を混乱させると言っていいだろう。

内的身体に特異性としてMePoは存しているのであるが、同一性意識である自我は、これを否定・無視して、同一性に連続化するのである。

そう、特異性と同一性とは矛盾するので、意識は分裂するのである。これは、人間意識の絶対的分裂性と言えるだろう。

この特異性と同一性の分裂であるが、両者は、相克の関係にあると考えられるのである。特異性は同一性を否定し、同一性は特異性を否定するのである。この両者の相克様態が意識内において存すると言えよう(とりわけ、男性の意識においてあると言えよう。女性は、思うに、特異性のエネルギーをもって、同一性を生成変化させるように思われる。)。

この相剋過程において、一般には、同一性が特異性を否定すると言えよう。

そして、これが、連続的同一性自我意識となるのであり、さらには、近代的自我となるのである。

ここで整理すると、MePoは、本来、即非的一の様相をもつのであるが、現象化において、特異性と同一性との相剋的分裂様態が発生すると考えられる。

さらに整理すると、MePoが特異性(特異点)であり、結局、MePoと同一性が相剋様態にあると言えよう。

言い換えると、即非的一と同一性との相剋様態が生起するということである。

思うに、哲学(洋の東西を問わず)は、この相剋様態の解決のために形成されたと考えていいだろう。ただし、東洋哲学は、大乗仏教等によって、即非的一を根本にして、同一性の理論を論破していたといえよう。

しかるに、西洋哲学は、同一性が中心となり、同一性によって、解決しようと努力したと言えよう。ヘーゲル哲学は、即非的一を同一性(=「理性」)に組み込む為に、弁証法を構築したのである。

西洋哲学のおいて、即非的一に近づいた、ないし、達した者は、シェリング、キルケゴール、ニーチェ、フッサール、ウスペンスキー、他の少数者であり、彼らの創造性を、その後の者は、同一性への反動に陥り、理解できなかった。日本では、鈴木大拙を初め、西田幾多郎、九鬼周造、他によって、即非的一の哲学が構築されたのである。

さて、MePoの構成・構築・構造をここで整理すると、それは、端的に、超越性と現象性との即非的一の構成をもつということであり、現象化によって生起した同一性は、特異性=MePoとは、相剋様態にあるということである。

補足すると、同一性と特異性との相剋様態とは、主に男性意識において顕著であり、女性意識においては、本来、相生的であると考えられる。

つまり、女性意識の方が、両者が共生・共存的であると考えられる。

何故ならば、これまで、述べたように、男性は、同一性に傾斜しているのであり、女性は、そのような傾斜がなく、特異性(差異)と同一性の均衡性を本来もっていると考えられるからである。

つまり、男性意識は、i*-(-i)⇒-1となり、女性意識は、i*(-i)⇒+1となるということである。

-1とは原-他者-iの否定があるのであり、+1とは、原-他者の肯定があるのである。

つまり、

-1は、同一性⇒同一性⇒同一性⇒・・・

+1は、同一性⇒差異⇒同一性⇒差異⇒・・・

となると考えられる。

だから、MePoを起点として、男性は、実数軸の左辺(左脳:ヴィジョン的叡知)へ、女性は、実数軸の右辺(右脳:言語的同一性)へと分岐するのだろう。また、MePo自体は、脳梁として見ることができるだろう。

ということで、さらに、MePoの構成を整理すると、超越性(天上性)と現象性(地上性)の即非的一の様相をもち、それが、個における内的身体である特異性(霊性=大地性)を形成している。そして、同一性に傾斜すると、特異性と同一性の相剋様態が生起して、⇒-1となり、実数軸の左辺へと展開する。そして、特異性と同一性との均衡がある場合、特異性と同一性は相生的であり、⇒+1となり、実数軸の右辺へと展開する。前者が男性(左脳)であり、後者が女性(右脳)である。

とまれ、簡潔に言うと、MePoとは、虚数軸と実数軸の交差における即非的一の点、即非的ゼロ・ポイント、即非的原点、即非的核点と言えよう。

おそらく、アリステレスや古代ギリシア人の言ったアルケー(本体)とは、MePoのことを指していると思う。プラトンのイデアもほぼ、MePoと考えていいだろう。有名なコーラであるが、それは、MePoの即非的一性を、より実数軸性で考えた空間ではないだろうか。だから、形相に近いのであるが、形相のような形而下的なものに限定されない。

結局、メディア・ポイントMedia Point(MePo)とは、虚数軸・超越性・天上性と実数軸・現象性・地上性との即非的一性の構成をもち、個における内的身体(霊性=大地性)において特異性となる。現象化=同一性化において、同一性に傾斜する場合は、特異性=差異と同一性が相剋様態となり、⇒-1(連続的同一性)となり、実数軸上の左辺へと展開し、特異性と同一性が均衡する場合は、特異性=差異と同一性が相生様態となり、⇒+1(差異・特異性的同一性)となり、実数軸上の右辺へと展開する。前者が男性性(左脳:言語的同一性)であり、後者が女性性(右脳:ヴィジョン的叡知)である。また、MePoは、物質的には、脳梁であろう。


参考:
アルケー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

アルケー(ギリシア語 :αρχη arkhē)とは、「はじめ・原初・根源 」等のことであり、哲学 用語としては「万物の根源」また「根源的原理」を指す。宇宙 の神的・神話 的な起原である。

[編集 ] 概説

主にミレトス学派 の自然哲学 で議論された。古代ギリシア のアナクシマンドロス がはじめてアルケーの語を用いたとされる。またアリストテレス はその著書『形而上学 』において、哲学 の祖はミレトス のタレース であり、彼は、万物の根源(アルケー)を水 であるとしたと記している。

それ以外にも、ヘラクレイトス は火 を、ピュタゴラス は数 をアルケーとし、エンペドクレース は土 ・水 ・火 ・空気 の四大 からなるリゾーマタ、デモクリトス はアトモス (不可分体)こそがアルケーであるとした。アナクシマンドロスは、無限定者(アペイロン 、en:Apeiron )がアルケーであると考えた。

[編集 ] キリスト教でのアルケー

『新約聖書 』の『ヨハネによる福音書 』は、その冒頭に、コイネーギリシア語 で、「 Εν αρχηι ην ο λογοs (En arkhēi ēn ho logos、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)」と記されているが、代表的なラテン語 訳である『ウルガータ聖書 』では、この部分を、「 In principio erat verbum 」と訳している。「 principium 」(principio は、この語の与格 形)はラテン語では、「はじめ」という意味以外に、「原理」という意味があり、ここよりアルケーへの問いは、「世界 の根源 原理 」としての神 への問いとして中世のスコラ哲学 に引き継がれた。

なお、アルケーという言葉のギリシア語での対語は、「テロス」(τελος,telos)であり、テロスは「終わり・目標・完成」というような意味を持つ。『新約聖書・福音書』において、イエズス は、「わたしはアルパであり、オメガである」と述べたと記されているが、アルパ(Α)とオメガ(Ω)は、ギリシア語アルファベットでの最初と最後の字母である。

従って、イエズスは「わたしはアルケーでありテロスである」と述べたとも解釈される。イエズスはギリシア語で語ったのではなく、アラム語 かヘブライ語 で言葉を述べた筈で、ヘブライ文字 だと、最初と最後の字母は、アレプとタウとなり、これはギリシア語のアルケーとテロスの頭文字に対応する。
執筆の途中です この「アルケー」は、哲学 に関連した書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 して下さる協力者を求めています。(ウィキポータル 哲学 )
"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B1%E3%83%BC " より作成

カテゴリ : ギリシア哲学 | 形而上学 | 哲学関連のスタブ項目


テーマ:メディア・ポイントMedia Point
この問題は、最高の難問の一つであるし、また、プラトニック・シナジー理論PS理論における最核心の問題であり、最重要な問題であると言える。

先に、いろいろ思考実験したが、今一つ不明瞭であるから、さらにここで検討を続けたい。

虚数軸と実数軸との交点であるメディア・ポイントMedia Point(以下、MePo)性質については、ほぼ解明されたと言っていいが、残る問題は、Mepoの構成・構築・構造性の解明である。

超越的差異性と現象的同一性との交点の構成はいかなるものなのであろうか。

異質なもの、不連続なもの同士の交点ないし交叉(交差)とはどういうことなのか。

これまでの大半の哲学・理論の失敗は、両者を連続概念で結びつけてしまったことである。これについては、多く述べたのでここでは省略する。

ここでも直観で述べよう。

超越的差異i*(-i)は、MePoにおいて、現象化するが、現象化とは基本的には、同一性化である。だから、現象同一性化と言ってもいい。

そして、意識において、同一性が支配するが、内的身体において、いわば、潜在意識として、差異=特異性=差異共振性が存してる。これは、いわば、暗い意識である。dark consciousnessである。

意識は、外界の光に応じて、同一性認識を構築する。このとき、言語的認識が同一性認識の道具となる。

しかし、内的身体にある潜在意識は、まだ、不分明である。これは、内観によって、省察を受けないと暗いままで、いわば、分裂したままである(思うに、二重人格の隠れた人格は、この潜在意識と関係しているだろう。これについて説明すると長くなるので、簡単に言うと、これは、同一性意識とりわけ連続的同一性自我意識によって否定された差異意識であるが、否定されているので、反逆的になっていると思われる。

また、デカルトのコギトは、内観による認識、自己認識ではないだろうか。これを、連続的同一性自我認識とすると、近代的自我認識となってしまう。コギトは、複雑であり、本来、内観的自己認識と見るべきであろう。)

内的身体にある特異性が、個におけるMePoであると言っていいだろう。

では、どうして、現象的同一性の世界にあって、超越性と結びつくMePoが個内に存するのだろうか。

一般に、自我認識(連続的同一性自我認識)は、特異性を否定・排除・隠蔽して、忘却しているのである。とりわけ、男性の認識においてそうである。

先に、MePoの1/4回転(スピン)を考えたが、そう考えると、超越的MePoの存在の説明が難しくなるので、そう考えない方が、現象界における超越的MePoの存在は説明できると考えられる。

MePoは、虚数軸のゼロ・ポイントであるし、同時に、実数軸のゼロ・ポイントである。

だから、MePoにおいて、虚数的超越性と実数的同一性が即非的に共存・共立・並立していると考えられよう。

これが、先にも述べたが、最高の微妙さ、いわば、最奥義、最秘儀、最妙味である。奥の院である。

そう、即非的一(いつ)としてMePoを考えるべきだと思う。一如ではなくて、一と見るべきである。

即非的一ないし即非一としてのMePoである。

即ち、MePoとは、超越的差異=虚数軸的差異であると同時に、現象的同一性=実数軸的同一性であるとということである。

そう、絶対矛盾的自己同一としてのMePoである。

即非的一としての、いわば、不思議があるのであり、それが、同一性論理、同一性意識を混乱させると言っていいだろう。

内的身体に特異性としてMePoは存しているのであるが、同一性意識である自我は、これを否定・無視して、同一性に連続化するのである。

そう、特異性と同一性とは矛盾するので、意識は分裂するのである。これは、人間意識の絶対的分裂性と言えるだろう。

この特異性と同一性の分裂であるが、両者は、相克の関係にあると考えられるのである。特異性は同一性を否定し、同一性は特異性を否定するのである。この両者の相克様態が意識内において存すると言えよう(とりわけ、男性の意識においてあると言えよう。女性は、思うに、特異性のエネルギーをもって、同一性を生成変化させるように思われる。)。

この相剋過程において、一般には、同一性が特異性を否定すると言えよう。

そして、これが、連続的同一性自我意識となるのであり、さらには、近代的自我となるのである。

ここで整理すると、MePoは、本来、即非的一の様相をもつのであるが、現象化において、特異性と同一性との相剋的分裂様態が発生すると考えられる。

さらに整理すると、MePoが特異性(特異点)であり、結局、MePoと同一性が相剋様態にあると言えよう。

言い換えると、即非的一と同一性との相剋様態が生起するということである。

思うに、哲学(洋の東西を問わず)は、この相剋様態の解決のために形成されたと考えていいだろう。ただし、東洋哲学は、大乗仏教等によって、即非的一を根本にして、同一性の理論を論破していたといえよう。

しかるに、西洋哲学は、同一性が中心となり、同一性によって、解決しようと努力したと言えよう。ヘーゲル哲学は、即非的一を同一性(=「理性」)に組み込む為に、弁証法を構築したのである。

西洋哲学のおいて、即非的一に近づいた、ないし、達した者は、シェリング、キルケゴール、ニーチェ、フッサール、ウスペンスキー、他の少数者であり、彼らの創造性を、その後の者は、同一性への反動に陥り、理解できなかった。日本では、鈴木大拙を初め、西田幾多郎、九鬼周造、他によって、即非的一の哲学が構築されたのである。

さて、MePoの構成・構築・構造をここで整理すると、それは、端的に、超越性と現象性との即非的一の構成をもつということであり、現象化によって生起した同一性は、特異性=MePoとは、相剋様態にあるということである。

補足すると、同一性と特異性との相剋様態とは、主に男性意識において顕著であり、女性意識においては、本来、相生的であると考えられる。

つまり、女性意識の方が、両者が共生・共存的であると考えられる。

何故ならば、これまで、述べたように、男性は、同一性に傾斜しているのであり、女性は、そのような傾斜がなく、特異性(差異)と同一性の均衡性を本来もっていると考えられるからである。

つまり、男性意識は、i*-(-i)⇒-1となり、女性意識は、i*(-i)⇒+1となるということである。

-1とは原-他者-iの否定があるのであり、+1とは、原-他者の肯定があるのである。

つまり、

-1は、同一性⇒同一性⇒同一性⇒・・・

+1は、同一性⇒差異⇒同一性⇒差異⇒・・・

となると考えられる。

だから、MePoを起点として、男性は、実数軸の左辺(左脳:ヴィジョン的叡知)へ、女性は、実数軸の右辺(右脳:言語的同一性)へと分岐するのだろう。また、MePo自体は、脳梁として見ることができるだろう。

ということで、さらに、MePoの構成を整理すると、超越性(天上性)と現象性(地上性)の即非的一の様相をもち、それが、個における内的身体である特異性(霊性=大地性)を形成している。そして、同一性に傾斜すると、特異性と同一性の相剋様態が生起して、⇒-1となり、実数軸の左辺へと展開する。そして、特異性と同一性との均衡がある場合、特異性と同一性は相生的であり、⇒+1となり、実数軸の右辺へと展開する。前者が男性(左脳)であり、後者が女性(右脳)である。

とまれ、簡潔に言うと、MePoとは、虚数軸と実数軸の交差における即非的一の点、即非的ゼロ・ポイント、即非的原点、即非的核点と言えよう。

おそらく、アリステレスや古代ギリシア人の言ったアルケー(本体)とは、MePoのことを指していると思う。プラトンのイデアもほぼ、MePoと考えていいだろう。有名なコーラであるが、それは、MePoの即非的一性を、より実数軸性で考えた空間ではないだろうか。だから、形相に近いのであるが、形相のような形而下的なものに限定されない。

結局、メディア・ポイントMedia Point(MePo)とは、虚数軸・超越性・天上性と実数軸・現象性・地上性との即非的一性の構成をもち、個における内的身体(霊性=大地性)において特異性となる。現象化=同一性化において、同一性に傾斜する場合は、特異性=差異と同一性が相剋様態となり、⇒-1(連続的同一性)となり、実数軸上の左辺へと展開し、特異性と同一性が均衡する場合は、特異性=差異と同一性が相生様態となり、⇒+1(差異・特異性的同一性)となり、実数軸上の右辺へと展開する。前者が男性性(左脳:言語的同一性)であり、後者が女性性(右脳:ヴィジョン的叡知)である。また、MePoは、物質的には、脳梁であろう。


参考:
アルケー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: ナビゲーション , 検索

アルケー(ギリシア語 :αρχη arkhē)とは、「はじめ・原初・根源 」等のことであり、哲学 用語としては「万物の根源」また「根源的原理」を指す。宇宙 の神的・神話 的な起原である。

[編集 ] 概説

主にミレトス学派 の自然哲学 で議論された。古代ギリシア のアナクシマンドロス がはじめてアルケーの語を用いたとされる。またアリストテレス はその著書『形而上学 』において、哲学 の祖はミレトス のタレース であり、彼は、万物の根源(アルケー)を水 であるとしたと記している。

それ以外にも、ヘラクレイトス は火 を、ピュタゴラス は数 をアルケーとし、エンペドクレース は土 ・水 ・火 ・空気 の四大 からなるリゾーマタ、デモクリトス はアトモス (不可分体)こそがアルケーであるとした。アナクシマンドロスは、無限定者(アペイロン 、en:Apeiron )がアルケーであると考えた。

[編集 ] キリスト教でのアルケー

『新約聖書 』の『ヨハネによる福音書 』は、その冒頭に、コイネーギリシア語 で、「 Εν αρχηι ην ο λογοs (En arkhēi ēn ho logos、エン・アルケー・エーン・ホ・ロゴス)」と記されているが、代表的なラテン語 訳である『ウルガータ聖書 』では、この部分を、「 In principio erat verbum 」と訳している。「 principium 」(principio は、この語の与格 形)はラテン語では、「はじめ」という意味以外に、「原理」という意味があり、ここよりアルケーへの問いは、「世界 の根源 原理 」としての神 への問いとして中世のスコラ哲学 に引き継がれた。

なお、アルケーという言葉のギリシア語での対語は、「テロス」(τελος,telos)であり、テロスは「終わり・目標・完成」というような意味を持つ。『新約聖書・福音書』において、イエズス は、「わたしはアルパであり、オメガである」と述べたと記されているが、アルパ(Α)とオメガ(Ω)は、ギリシア語アルファベットでの最初と最後の字母である。

従って、イエズスは「わたしはアルケーでありテロスである」と述べたとも解釈される。イエズスはギリシア語で語ったのではなく、アラム語 かヘブライ語 で言葉を述べた筈で、ヘブライ文字 だと、最初と最後の字母は、アレプとタウとなり、これはギリシア語のアルケーとテロスの頭文字に対応する。
執筆の途中です この「アルケー」は、哲学 に関連した書きかけ項目 です。この記事を加筆・訂正 して下さる協力者を求めています。(ウィキポータル 哲学 )
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posted by ソフィオロジスト at 14:40| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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