2005年05月08日

差異と個その2:差異と現象的個体の関係

個と特異性:現象的個体は何であるか

メディア界における差異の連結によって、連続的同一性である現象的個体が発現する。問題は、差異の連結は原型・構造・形相・「イデア」であるが、どうして、個物・個体として現象するのかである。これは、差異の連結が原空間性、差異の強度が原時間性をもつと考えることで説明できるだろう。この原時空間性が個物・個体として現象となるのである。つまり、差異の連結という瞬時の事件の残像として、現象の個体・個物となるのである。すなわり、遅れとしての時空間性である。(ここで、デリダの差延を見てもいい。)
ところで、さらに、問題は、差異1・差異2・差異3・・・差異nという差異の連結態が、どうして多数・無数の個物・個体を発出するのかということである。たとえば、ある差異の連結態Rをバラの原型としよう。そして、現象として、バラ1,バラ2,バラ3、・・・バラnと生じる。これを差異の観点から見るとどう説明できるのだろうか。たとえば、差異の連結態R(バラの構造)が、バラ1,・・・バラnの根源であるということか。つまり、一つのバラの構造があって、それがすべての現象のバラを生み出しているのかということである。もっとはっきり言うと、一つのバラの構造が地球上すべてのバラを生んでいるのかということである。つまり、メディア界的構造と現象界的個物の関係はどうなのかということである。メディア界が現象を発現させるのだから、つまり、時空間を形成するのだから、バラ1,・・・バラnも当然生じると考えていいだろう。つまり、個物と結びついた時空間を発現するということである。だから、差異1・差異2・差異3・・・差異nというバラの連結構造が多数のバラの個物を形成すると言っていいことになろう。思うに、こういうことだろう。時空間を形成する差異連結TSがあり、これとバラの差異連結Rが結びついて、多数のバラの個物が発現するということだろう。つまり、差異連結と差異連結との連結が、多数の同一種の個物を発現するということだろう。
このように見れば、私が先に悩んだ人間の個・特異性の問題も明快となるだろう。つまり、人間現象の場合、時空間差異連結TSと人間差異連結Hの連結によって人間現象が発現する。そして、個・特異性とは、発現した人間個体に内在する多数の差異性に基づくのであるのではないだろうか。いな、そうではなくて、「わたし」という個・特異性とは、時空間差異連結と人間差異連結との連結にあるだろう。単に、人間差異連結に存するのではない。そう、この時空間・人間差異連結とは、ユダヤ神秘学のアダム・カドモンであろう。そう、類としての人間である。ここにおいて人間は共通である。普遍絶対共通である。正に人類である。
ここでさらに展開すると、先に私が言った個の経験とはどうなるのか。問題は、メディア界と現象界との連関性である。差異・強度が身体・精神となるとしよう。経験とは、連続体の経験であるが、深い経験は、差異・強度の経験であろう。感動のような。つまり、連続体を破る経験である。つまり、連続体とは、いわば、反射的であり、機械的、自動反応的である。しかるに、深い経験とは、特異なものである。これは、経験だけではなく、知や思考にも関係するだろう。深い知や思考は、特異である。結局、個の経験ないし個の知・思考とは、深い場合は、差異・強度に直接関わるといえるだろう。すると、差異・強度に、個の経験が記録されるのではないだろうか。それとも、単に、差異・強度が個の経験・思考がはたらいているだけだろうか。個とは、差異・強度の特異性である。ここにおいて経験・思考するとは、差異・強度を動かすことであろう。つまり、差異・強度を能動化することである。そして、個はより賦活されるだろう。思うに、これがスピノザの説く能動的観念につながることだろう。すなわち、差異・強度の能動化という創造である。これが、メディア界における個の記録なのではないだろうか。差異・強度のさらなる特異化である。つまり、差異・強度の「差異」化と言ってもいいだろう。これが個の記録だろう。簡単に言えば、差異の差異化である。これが、個の記録である。
では、連続的個体における経験や思考は記録されないのかということになるだろう。つまり、連続的同一性の経験・思考のことである。思うに、連続的経験でさえ、差異・強度に反映であるから、残るのではないだろうか。
さて、ここで、整理したい。先に述べたメディア界の個・特異性と、ここで述べた差異連結構造における差異の差異との関係をどうするのかがポイントとなる。そう、後者の差異の差異と、前者のメディア界の個・特異性とはある意味で一致させることができるのではないだろうか。差異の差異を個・特異性とすればいいだろう。「わたし」は、個・特異性であるが、それは、差異の差異として存するということになろう。そう、これは、人間の普遍・類性とは別のものと思える。というか、人間の普遍的差異に付加された個的差異(=特異性)のように思える。確かに、この個的差異・特異性はメディア界にあり、人間の普遍的差異・類性と連結するだろう。私は以前、星辰遺伝と継続遺伝(物質的遺伝)の区別をしたが、個的差異・特異性が星辰遺伝であり、普遍的差異・類性は継続遺伝につながるのではないか。もちろん、後者の場合は物質的なので、親族の物質的身体の類似性を継続する意味も含むのである。それに対して、前者は、全くの個・特異性であり、単独・唯一的である。
また、後で、整理したい。
posted by ソフィオロジスト at 00:24| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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