2006年05月29日

思考実験:メディア界の空間・幾何学について

作業仮説として、メディア差異(ゼロ度共振差異)を、三次元時空体としよう。あるいは、n次元時空体としよう。この時空体とは、時間と空間が未分化一体となっているということである。E=mc^2である(とりあえず)。この差異時空体が、メディア/現象境界領域において、同一性化されるわけであるが、この同一性化によって現象化が為されるのである(半田氏は、オイディプス化と呼んでいる)。このとき、思惟と延長が分化するのである。主客二元論化するのである(近代西欧化)。この同一性化による延長の発生が、半田氏の言う奥行きに相当するのではないだろうか。
 ガウス平面=イデア界での、1/4回転によって差異が虚軸化する。そして、それが、垂直に展開して、Z軸化するとしよう。このZ軸が、メディア/現象境界ではないだろうか。そして、ここにおいて、現象化に際して、延長が発生するのではないだろうか。Z軸と延長方向が重なることになる。このようなことは、以前考えたことがある。とまれ、Z軸を前後方向としよう。すると、ガウス平面=イデア界とは、Z軸=現象界と直交している関係にある。これは、ヌース理論が表現している世界観と重なるだろう。
 問題は、この現象界とメディア界の「空間」関係である。Z軸が前後方向あるいは時間軸方向ならば、左右方向、上下方向はどうなるだろうか。それらは、互換できるものになるだろう。つまり、X軸が上下方向に、Y軸が左右方向になったり、Y軸が上下方向に、X軸が左右方向になったりするだろう。しかし、根本的には、無数の上下左右方向が可能になるということである。つまり、上下左右は回転するからだ。しかし、前後方向/時間軸は一つしかないだろう。これが、半田氏が奥行きという言葉で表現したものに通じるのかもしれない。
 とまれ、ここでは、作業仮説として、Z軸が前後方向・時間軸であり、ここで、延長空間=現象化が発生するのであり、この一次元に対して、ガウス平面=イデア界の二次元が加わって三次元空間=4次元時空間が発生すると言えないだろうか。それは、1/4回転による捩れによって、ガウス平面=イデア界に垂直に差異(ゼロ度差異=共振差異)が「発出」するという事象で説明できるだろう。つまり、Z軸の発生によって、差異は、三次元化しているのである。そして、これが、同一性化によって時空4次元化すると言えるだろう。考えれば、確かに、左右上下は、多様性であるが、前後も多様である。この点を説明しなくてはならない。
 これは、感覚の中でも、視覚に関係する。正面や背後の問題である。直観的に、正面は枢要なものである。同時に、背後の意識も喚起される。正面と背後・背面の体極性があるだろう。視線が基礎であり、ここから、前後方向が規定されて、左右上下が決定されるだろう。視線ないし視点の問題である。そして、これは、同一性化の問題である。光の同一性の問題である。光の同一性が、視線・視点を形成するのであり、これが、延長空間・前後方向・現象化を発生させると考えられる。ということで、前後方向の問題は、光の同一性⇒視線・視点による正面・背面で説明できるだろう。即ち、前後方向(=奥行き)とは、光の同一性=視線・視点によって一義的に決定されるということである。
 ここで、時間軸が光軸であるということになるだろう。相対性理論は、ここを理論化しているのだろう。つまり、Z軸理論である。ついでに、量子論は何かと言えば、それは、メディア三次元体の理論ではないだろうか。ただし、ガウス平面=イデア界を外しているように思えるのである。差異が現象化する以前のXYZ三次元事象が真の量子空間ではないだろうか。つまり、絶対エネルギーの空間(ガウス平面=イデア界)を入れて、完全な量子空間となるのではないだろうか。つまり、現在の量子論は、ゼロ度共振差異=量子のみを扱っているのであるが、その原初に、絶対的差異の回転エネルギーがあるのであり、この回転エネルギー=絶対(絶対値)的エネルギー(=デュナミス)を計算する必要があるのではないだろうか。この点は後で検討したい。
 ここで、最後に、メディア界の空間・幾何学の形態について触れると、それは、二重らせん形状、あるいは、円柱、あるいは、球体等になるのではないだろうか。ここに形態の原型があるのだろう。そして、プラトンは、ここを、イデア界、コーラと呼んだのだろう。そして、ここは、D.H.ロレンスの『死んだ男』の暗いコスモスの薔薇に相当するだろう。多重多層な時空間多様体である。また、善のイデアであるが、それも、メディア界を指していると見ることができるように思われる。しかし、なにか、イデア界自体の示唆も感じるのである。また、大乗仏教であるが、《空》とはメディア界を指しているだろう。また、キリスト教は、同一性の極致を意味しよう。Z軸=ヤハウェからの同一性の展開としてのイエス・キリストだろう。そして、ここは、極点であるから、反転して、メディア界へと回帰するだろう。これが、聖霊教を意味しよう。そして、私の直観では、これが、宝瓶宮(水瓶座アイオーン)の意味するものである。水瓶の水は、聖霊であると考えられるのである。っ伝統的には、ミューズ(ムーサイ・詩神たち)である。また、天使や精霊である。霊感である。そして、メディア界は、確かに、差異調和の世界である。コスモス的ハーモニーCOSMIC HARMONYの世界である。ロレンスが、『馬で去った女』で表現した宇宙、月と太陽の調和の世界である。華厳経宇宙である。モーツァルトの音楽の世界である。また、円空の言う「法の御音」の世界である。高天原である。常世である。新エデンの園である。新八百万の神々の世界である。新多神教である。
posted by ソフィオロジスト at 09:57| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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