2006年02月21日

神道論:太陽乙女神アマテラスと天皇の関係:不連続的差異論の視点から

イデア界=太陽乙女神アマテラスとしよう。そして、それが、1/4回転して、イザナミ/イザナギの雌雄的ペアの神々が生まれる。イシス/オシリスの神話と同じである。だから、天皇はイザナギであり、オシリスに当たる。イシス/オシリスの神話から見ると、イシスは殺害されたオシリスのばらばらの断片を集めて、復活させるのである。死から生への原理、復活・不死鳥の原理である。このイシスは、実は、イデア界に当たるのではないだろうか。生成消滅がメディア界の原理であって、復活の原理ではない。イシス/オシリス神話というものは、やはり、イデア界とメディア界を混同しているように思う。だから、先に述べたように、ハトホルをイデア界の女神とすべきように思うのである。だから、ハトホル/オシリスの神話である。
 では、極性のイシス/オシリス神話とは、何を意味するのか。また、このメディア界の神話と天皇はどう関係するのか。今、ふと思ったのであるが、太陽乙女神アマテラスとイザナミ/イザナギの双対神話とは、異質なものではないか、あるいは、別の時代や社会のものではないかとといういことである。沖縄の母権的な宗教が、太陽乙女神アマテラス宗教を伝えているのではないだろうか。ヤポネシア宗教である(ここで、宮崎駿の『風の谷のナウシカ』を想起する。)。しかし、男性神が出てくる、イザナミ/イザナギは別の宗教体系ではないのか。ヒミコ(日巫女、日見娘、日巳娘)は、太陽乙女神アマテラスに仕える巫女ではないのか。ならば、アマテラスの巫女としてのヒミコ(日巫女)である。これは、女性・母性・乙女(処女)の宗教的権威を想定させるのである。ここには、男性神は存しないと思う。純粋母権・乙女権的宗教である。
 そうならば、天皇とは何かということになる。おそらく、本来、アマテラスの《力》が付着するのは、巫女、女性祭司である。だから、前天皇とは女性であるはずである。では、どうして、巫女に相当するものが、女性から天皇に変わったのであろうか。日巫女から日御子(ひのみこ)への変化の問題である。これは複雑微妙な問題である。やはり、問題はイザナミ/イザナギ(イシス/オシリス)神話の意味にあると思う。これが、仲介となり、一種父権的な天皇制が生まれたと思うのである。【これは、また、『源氏物語』にも関係する問題である(光源氏が日御子に相当するだろう)。】(p.s. 後述したが、ここでの私の見解は間違っているので訂正する。父権的天皇制は、平安時代には生じていない。父権的天皇制の発想は、江戸時代の国学にあると考えられる。)
 今想像しているのは、ジョセフ・キャンベルの神話学である。そこでは、神話を4種類に分類している。

1)純粋母権・乙女神神話
2)イシス/オシリス型雌雄神話(夫に孕まされた女神から世界が生まれる)
3)父権神話(男神によって、女神の身体から世界が創られる)
4)純粋父権神話(男神単独で世界を創造する)

日本神話は、1と2の結合したものである。ただ、スサノオの八岐大蛇殺戮に3の要素がいくぶん、うかがえるようだが。問題は、2の神話の意味である。狩猟採集文化は、1であろう。農耕文化であるが、それが2ではないだろうか。思うに、前古代日本は、《縄文》文化(東アジア照葉樹林文化と言うべきか)において、1の宗教・神話をもっていただろうし、また、農耕文化性もあるから、2の要素もあったのであろう。すると、1と2の混淆した文化が、前古代日本文化ではなかったか。そして、そこへ、父権的文化が入ってくる。これが、天皇宗教文化をもたらしたのであろう。
 問題は、1と2は、母権神話であるが、日本国が、父権的な国になったことである。もっとも、天皇制は父権制なのであるのかという問題がある。天皇制は母権的だと思うのである。日本国が父権的になったのは、明治においてではないのか。封建制は確かに男女ヒエラルキーがあると思うが、しかし、そこには、母権的宗教が生きていたのではないか。排仏毀釈・神仏分離令は、この母権的宗教を解体して、父権的国家形成の基礎・基盤となったのではないか。すると、やはり、国学の問題がここにある。平田篤胤は、キリスト教の影響を受けて、神道を一神教化したと言うことである。思うに、これによって、神道が父権化したのではないだろうか。そして、これがイデオロギーとなり、明治維新があるのではないか。本居宣長が胡散臭い。大和心と漢心と分離するのがイデオロギーである。もともと、母権的宗教を核として、大陸の文化を吸収したのであるから、純粋な漢心はないはずである。これは、本居宣長のフィクションであると思う。この二項対立的発想は近代的であり、父権的である。やはり、国学に父権化の起源の一つがあるのではないだろうか。国学自体が「漢心」であろう。これは、母権的宗教の衰退があるのであろう。つまり、イデア/メディア的精神の衰退であり、メディア/現象的精神(父権的精神)の強化を意味するのだろう。これが、国学の意味ではないだろうか。この母権的精神の衰退と父権的精神の勃興が、江戸時代に生起して、明治維新の原動力となったのであろう。そして、明治天皇制は、父権制である。根源の母権的精神の衰退があるのである。ここで、折口が日本人は宗教性を久しく失っていると述べていたことを想起するのである。
 思うに、明治維新前後は、古い母権的精神と新しい父権的精神の混淆状態であったように思われるのである。その「カオスモス」、メディア的エネルギーが、明治維新のエネルギーとなったのであろう。そして、極端化して、太平洋戦争となり、敗戦し、米国文明化した。しかし、問題は、古い母権的エネルギーを喪失して、父権的精神を残していることである。これが、現代、靖国問題となっているのだろう。結局、飛躍するが、日本の自立・復活は、母権的エネルギーを再生することである。これは、神道復活であろう。イデア論としての神道・多神教の復活であろう。そう、平明に言えば、日本の女性が、太陽乙女神アマテラスの根源的力を取り戻すことが重要である。新アマテラス、新ヒミコとしての女性の復活である。それは、また、新天皇制ということだろう。新太陽乙女神アマテラス/新天皇をもつ新天皇制である。
posted by ソフィオロジスト at 16:25| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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