2006年09月10日

自己愛性人格障害と近代的自我:超越的連続・同一性構造と超次元知的存在の新創世記

自己愛性人格障害と近代的自我:超越的連続・同一性構造と超次元知的存在の新創世記
テーマ:ポスト・ユダヤ/キリスト教西洋文明
自己愛性人格障害や境界性人格障害に関しての説明を少し読んだが、根本において、親から見捨てられる不安から、発症するように思えた。
 以前、近代的自我の発生に関して、「心」の冷暗化を仮説したことがあるが、このような不安は、一種「心」の冷暗化に関係すると言えるだろう。私は、理論的に突き詰めて、では、何故、親、この場合は、母親は、このように子供に依存するのかである。やはり、親自身の問題であり、親の「心」の冷暗化の原因を考えなくてはならない。
 結局、個・自我としての自律の問題である。「我在り」ないし「我思う」の問題である。不連続的差異論dd論から見ると、メディア界の問題である。言い換えると、自我存在の基盤の問題である。
 デカルトは、コギトに基盤を求めたのである。しかし、デカルト哲学の問題は、やはり、メディア界の問題だと思う。コギトは、原点としては、メディア界を含むだろうが、近代的自我となると、メディア界を排除することになるのだ。コギト→近代的自我の移行には、メディア界の排除があるのである。だからこそ、ここには、暴力があるのである。自他への暴力である。そして、ここに、自己愛の問題が発生すると思えるのである。これまで、既述したように、自他の他者・差異の否定・排除・隠蔽である。しかし、これは、極性力学に拠るのであり、必然である。問題になるのは、マイナス・エネルギーが賦活されて、反動化するときである。つまり、賦活される差異を容認しない、反発的な、否定的な姿勢をとるときである。
 問題は、何故、差異を容認しようとしないのかである。確かに、差異は、同一性自我の体系を破壊・解体するのであるから、同一性自我にとって、たいへん不安である。同一性自我である近代的自我自体が、差異を否定しようとするのである。
 現代、自己愛性人格障害が起こるのは、差異を否定する強固な同一性自我が存するからである。私は、近代的自我の反動態として見ているのである。これまで述べたように、「ポストモダン」様相とは、マイナス・エネルギーが賦活され、差異の志向性が発動するので、その発動に対して、同一性自我=近代的自我が、反動的に否定的な反応を起こすのであり、この反動的否定反応こそが、精神病理なのである。
 また、これも既述したように、差異を否定する唯物論文化が主導的なので、差異を肯定する「教養」がないので、差異への受容力がなくなっていることも、一因であると考えられるのである。そう、だから、結局、ポスト・近代主義の発動という実在的な主観・主体的環境における、近代主義の「末期症状」であると見ることができるのである。問題が複雑化しているのは、いわゆる、ポストモダンの運動が挫折したことで、ポスト・近代主義の視点を喪失して、近代からのエクソダスの地平がなくなり、近代主義の反動様態が支配していることである。ポストモダンやポスト構造主義で、夜明けが来たかと思えたが、それは、中途半端な光であり、そのため、真のポスト・近代主義へのブレークスルーにならなかったのである。
 不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論の観点から見ると、この近代主義の大反動様態は、理論・知の衰退に大きく存していると思う。有り体に言えば、現代を批判解明し、未来を切り開く理論・知が欠落していることである。これは、明らかに、衰退路線である。
 近代的自我は、無反省のままで、継続していて、自滅へと進んでいるのである。
 そう、まったく、プラトンの洞窟の影像に見入っている反動様態である。狂気ではあるが、妄想狂気(妄狂)自我相である。近代合理主義=唯物論の傲りの結果である。また、カント哲学の限界に拠るとも言えよう。物自体の合理性・ロゴスをカントは理論化できなかったのである。それは、フッサール現象学が行ったのであるが、ハイデガーがそれを後退的に隠蔽してしまったのである。物自体の合理性とは、超越論的主観性、志向性、ノエシス・ノエマ、間主観性、生活世界である。そして、さらに、それを空間化したのは、ウスペンスキーであったのであるが、これらが、アカデミズムにおいて、無視されてしまったのである。というか、哲学分野での、知的劣化・衰退があるのである。
 思えば、デリダやドゥルーズは、後、一歩という境界点で、物自体の世界へとブレークスルーすることができなかったのである。ニーチェ、フッサール、ウスペンスキー、西田幾多郎、鈴木大拙、他の始動的ブレークスルーを継承できなかったのである。そして、また、量子力学も、近代唯物科学の枠に留まったままである。
 結局、これまでの結論を繰り返すしかないが、連続・同一性内在超越構造を徹底して解体する方法しか、真のブレークスルーはありえないのである。ユダヤ・キリスト教、近代的自我、唯物論・唯物科学、ポスト構造主義、資本主義、これらは、この超越論的構造を維持したまままである。

この超越論的連続・同一性構造の解体・破壊にしか、未来は存しないと断言できるのである。

 不連続的差異論/プラトニック・シナジー理論によって、この
超越論的絶対的差異進化が生起すると言えるのである。これは、東洋も西洋も超越した進化である。

そう、今や、
プラトニック進化が、人類に襲来したのである。これまでの人類は猿人類と退化するだろう。

超次元知的存在の新創世記のエポックである。

NEW GENESIS OF SUPERDIMENSIONAL INTELLIGENT BEINGS

来るべきものが来たのである!!!
posted by ソフィオロジスト at 03:47| 東京 🌁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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