2006年04月07日

何回の1/4回転によって現象が生まれるのか:ガウス平面の回転について:西洋文明の消滅期に臨んで

複素平面での1/4回転と不連続的差異論の3層構成との整合性が、私の考えにおける、現時点での、いちばんの難点、難問である。
 先の考察から、問題点は、現象界が発現するのに、1/4回転は何回必要なのかということである。1回?、2回?、3回?・・・。あるいは、観点を変えて、メディア界から現象界が生じるのは、どういう力学によるのか。後者を検討した方が、適切なのかもしれない。
 メディア界は、いわば、多様体の世界である。生成変化の世界である。不連続性と連続性が共存しているとも言える。これは、問題ない。しかし、これが、現象化することは、どういうことなのか。私見では、同一性の構造の力学がはたらいているということである。ならば、メディア界から同一性の発生を解明しないといけない。一番簡単に、図式化して考えよう。

イデア界:差異1⊕差異2(差異1⇔差異2)

メディア界:差異1☯差異2

現象界:差異1=差異2

☯から=への変容の力学をどう見るのかである。
 その前に、ここで説明すると、ドゥルーズ&ガタリの内在平面ないし存立平面とは、メディア界のことだと考えられる。差異が、《離接》している。鈴木大拙の用語では、《即非》である。これは、1回目の1/4回転によってもたらされるだろう。そして、イデア界・複素平面に直交するZ軸を時間軸としよう。これで、単純に、らせん的形状が発生すると言えるだろう。問題は、ゼロ化である。ゼロ化は、Y軸で発生すると考え、X軸でゼロ化が解消すると考えてきた。しかし、問題は《視点》である。最初の1/4回転は、X軸上から見ると、ゼロである。そして、2回目の1/4回転では、Y軸上から見ると、ゼロである。以下同様である。つまり、X軸視点とY軸視点が交互に入れ替わって、ゼロ化が発生して、螺旋形状運動が発生すると言えるだろう。だから、奇数回の1/4回転は、X軸視点、偶数回のそれは、Y軸視点となる。思うに、この2つの視点は、不連続的差異・イデアのもつ垂直/水平志向性によるのではないだろうか。即ち、第1回転では、不連続的差異・イデアの水平的志向性の視点から見ると、ゼロ化・ゼロ度となり、第2回転では、不連続的差異・イデアの垂直的志向性の視点から見ると、ゼロ化・ゼロ度となるのではないのか。不連続的差異・イデアの垂直/水平十字志向性がポイントとなる。 
 この点を精緻に考えてみよう。X軸では垂直志向性と水平志向性があるが、それが、1/4回転して、Y軸上に移動するが、そのとき、X軸上での垂直志向性は、逆に、水平志向性になり、水平志向性が垂直志向性になると言えるだろう。つまり、十字志向性が逆転するのである。X軸では、+の垂直志向性と−の水平志向性がある。これが、1/4回転して、−の垂直志向性と−の水平志向性となるだろう。これが、第1回転である。そして、第2回転の結果、−の垂直志向性と+の水平志向性が生まれる。そして、第3回転では、+の垂直志向性と+の水平志向性がある。そして、第4回転・1回転では、回帰して、+の垂直志向性と −水平志向性がある。図式化しよう。

ゼロ回転:+X軸の垂直/水平志向性:+、−
第1回転:+Y軸の垂直/水平志向性:−、−
第2回転:−X軸の垂直/水平志向性:−、+
第3回転:−Y軸の垂直/水平志向性:+、+
第4回転:+X軸の垂直/水平志向性:+、−   (1回転)

さて、ゼロ化の問題であるが、+X軸において、不連続的差異は水平共立している。しかし、+Y軸においては、不連続的差異の水平共立が解消して、ゼロ化が生起している。しかし、垂直共立は生起しているのである。このことを、+X軸で考えると、垂直共立はゼロ度であり、水平共立は言わば、+である。このことから考えると、これまで、イデア界と呼んだものは、不連続的差異の偶数回転、メディア界は奇数回の回転に関係しそうである。つまり、イデア界とメディア界の交互変換が複素平面にはあることになるだろう。イデア/メディア/イデア/メディア/・・・である。
I/M/I/M/・・・である。しかしながら、これだと、イデア界とメディア界の質的区別がなくなるだろう。イデア界ないしメディア界の変容だけがあるだけとなるだろう。だから、不連続的差異の垂直/水平十字志向性と、不連続的差異の存立性ないし共立性については、区別する必要があるのではないだろうか。後者、存立・共立性は、X軸の事象であると限定すべきなのではないだろうか。そして、Y軸へ回転移動したとき、この存立・共立性が解消して、メディア界的《離接》・《即非》・《絶対矛盾的自己同一》が発生するのではないだろうか。ならば、I/M/I/M/・・・交互変換とは、無(空)と有との交互過程となろう。即ち、無/有/無/有/・・・である。そして、「原軸」の−X軸の不連続的差異・イデアを考慮すると、これは、双対的過程である。双対的生成消滅過程である。
 そうすると、やはり、メディア界的螺旋運動は、言わば、破線的螺旋運動となる。しかし、《差延》が発生するため、連続化のシミュラクルが発現(仮現・仮象)すると言えよう。以上のように作業仮説的に前提を確かにしたので、いよいよ所期の目標である。現象化について検討しよう。
 1/4回転の反復によって、垂直に捩れて、Z軸が生まれる。これを時間軸と作業仮説しよう。問題は、発生するシミュラクル螺旋形状運動が、メディア界なのか現象界なのかということである。直観では、メディア界だと思われる。そうならば、現象界はどこに発現(仮現・仮象)するのか。先にも使用したが、Y軸で形成される《有》的差異をメディア差異と呼ぼう。そして、シミュラクルの螺旋は、当然、メディア差異と考えられるのである。ならば、差異1☯差異2の共振連結多様体である。(推測するに、DNAの二重らせんは、これの現象的発現ではないか。)だから、ここに同一性構造を入れれば、現象化の起因となる。差異1☯差異2の螺旋形状があり、この螺旋に差異1=差異2の同一性構造を入れればいいのだろう。私は、これまで、同一性構造は、1/4回転によって発生すると、長い間考えてきたが、どうなのだろうか。ガウス平面での1/4回転の反復には、私の考えるような同一性構造を発生させる1/4回転はないように思えるのだが。
 思うに、Z軸をどう理解するかである。又は、Z軸の発生の力学をどう見るのかである。これは、垂直の捩れによると考えられる。そう、こういうことではないのか。1/4回転によって、Y軸へ不連続的差異が回転移動するが、同時に、Y軸からZ軸への1/4回転が生起するのではないのか。つまり、一つの1/4回転は、ガウス平面に直交するZ軸の生起を意味するということではないのか。即ち、一つの1/4回転とは、二重の1/4回転、立体的1/4回転であると言えるのではないだろうか。これを作業仮説としよう。そして、このZ軸が、同一性構造の軸となるだろう。Y軸において、不連続的差異の共立とメディア化の「矛盾同一」があった。ならば、Z軸においては、メディア化と同一化の「矛盾同一」が存するだろう。なぜなら、Z軸では、(0,0,z)が発生して、イデア界も、メディア界もゼロ化となるからである。このメディア差異のゼロ化が同一性化である。即ち、差異1=差異2の「=」である。
 従来は、Z軸からさらに垂直の捩れを考えて、P軸を考えたのである。これで、4次元になるのである。しかし、この捩れは発生しないように推測されるのである。だから、Z軸の視点の問題となるだろう。Z軸視点から、メディア差異の螺旋形状を見ると、それは、(0,0,z)あるいは、(0,0,t)である。イデア界は完全に消失している。そして、メディア差異の共振極性であるが、それは、同一性と「矛盾同一」していると言えよう。そして、この「矛盾同一」であるが、ここで、否定性が発動していると考えられるのである。なぜなら、ここでは、Y軸上の「矛盾同一」とは異なり、メディア差異の「ゼロ」・「空」(くう)が、無化されるからである。「ゼロ」とは、有と無との中間態であるが、「ゼロ」の「ゼロ」化によって、無化が発生すると考えられるのである。この無化が否定性である。
 では、現象化はどうやって発現するのか。もう、さらなる垂直の捩れはないのである。Z軸は、不連続的差異論の3層構成から見ると、メディア/現象境界・MP境界と考えられる。現象発現力学は何か。ここで発想を変えて、Z軸の現象面を仮定すると、これが、現象界なのではないだろうか。つまり、Z軸、MP境界が現象界ではないのかということが考えられるのである。ここでは、自然現象の生成消滅が見られるだろう。そう、プラトンの洞窟理論から言えば、洞窟のスクリーンが、Z軸・MP境界となるだろう。ものが仮現・仮象(マーヤ)する面である。
 そうすると、現象界とは、メディア差異と同一性の争闘の領域になるだろう。そう、これが、旧約聖書のヤハウェが自然宗教を迫害するに現れているだろうし、今日では、アメリカの覇権主義を考えればいいのである。
このように考えると、現象界とは、Z軸・MP境界そのものの事象であるということとなるだろう。
 では、西欧近代主義・近代合理主義・近代自我主義を考えると、それは同一性構造のメディア差異に対する勝利と言えるのであるが、それはどう説明されるだろうか。Z軸・MP境界では、「矛盾同一」であり、対立物が並存しているはずではないのか。しかし、これは、Y軸でのイデア/メディア境界でのような、ゼロ度の共存性はないのである。なぜならば、ここでは、いわば、弁証法が生起しているのであるからだ。つまり、暴力・権力である。父権暴力である。発生した同一性は、メディア差異を否定して、暴力化するのである。だから、西欧近代主義とは、Z軸・MP境界の帰結であると言えるだろう。
 そうならば、3層構成を少し修正しないといけないだろう。即ち、
1.イデア界/IM境界/2.メディア界/3.MP境界=現象界である。しかしながら、現象界は、Z軸・MP境界の帰結であるから、やはり、別枠にしてもいいと考えられるから、これまで通りの3層構成でいいだろう。ただし、力学構造を変更することになる。即ち、現象界の発現は、メディア界からの1/4回転ではなくて、メディア界自体の展開によると言える。
 結局、1/4回転を考えると、Y軸への1/4回転とZ軸への1/4回転の、二重立体的1/4回転構造があるということになる。結局、複素平面の1/4回転とは、立体的1/4回転であり、これが、メディア界/現象界を発現・仮現させていると言えるのである。
 では、このような視点から、ポストモダン革命を見るとどうなるのだろう。これは、偉大な進化革命であろう。とまれ、この力学の意味は何だろうか。これは、Z軸・MP境界の超克であるが、どうして、そのような事態となったのか。その起因・原動力は何か。それは、人間の心身は、基本的にイデア界/メディア界/現象界の総体であるからであり、当然、「無意識」において、イデア界/メディア界の《力》ないし《エネルゲイア》を感じるものだからではないのか。しかし、どうして、19世紀末から、この《衝動》が強化されたのか。それは、様々な原因があるだろう。近代主義の恐ろしい害悪が出現したこともあるだろう。それは、外的原因であるが、内在的原因があるだろう。特異性の問題もあるし、・・・。いったい何が根源なのか。人間の探求心とも言えるし、・・・。私が推測しているのは、イデア界の回転の動きである。1回の1/4回転で、1サイクルが発生するだろう。そして、2回目の1/4回転で、その1サイクルが閉じるのである。おそらく、現代は、ユダヤ・キリスト教西洋文明のサイクルの終焉期を迎えているのだろう。つまり、ユダヤ・キリスト教西洋文明の1/4回転がイデア界・ガウス平面で起こり、それが、西洋文明を発生させる。しかし、イデア界はさらに回転を続けて、その1サイクルを消滅させると言えるだろう。そして、3回目の1/4回転で、新文明が発生すると言えよう。そして、4回目の1/4回転でそれが消滅する。こう考えると現代は、2回目の1/4回転で、西洋文明の消滅期であると同時に新しい文明の胎動期であると言えるだろう。つまり、3回目の1/4回転が近づいているのである。あるいは、現代は、4回目の1/4回転を終えて、新しい第1回転を迎えつつあるのかもしれない。この点については後で検討したい。
 このように考えると、西洋占星術等の考え、つまり、大プラトン年の考えを想起するのである。432の数に60をかけると、25920年という大プラトン年が出てくる。これを12で割ると、2160年というプラトン月が出てくる。ここで、ヌース理論を参考にすると、円運動1周するのに、25920年かかるとすると、1/4回転は、6480年である。そして、これを、これが、西洋文明の生成消滅のサイクル年だろう。そして、新しい6480年の文明生成消滅の「アイオーン」に入るのだろう。西洋占星術でいう水瓶座の時代とは、これを示唆しているのではないだろうか。これを三等分割すると、2160年で、いわゆる星座の時代である。魚座の時代が、典型的な西洋文明の時代であったのだろうが、しかし、それは、同時に消滅の時代である。その前に牡羊座の時代があり、その前に、牡牛座の時代があった。牡牛座→牡羊座→魚座→水瓶座であるが、これは、母権・女神の時代(農耕)→父権・超越神の時代(遊牧民)→キリスト教の時代(都市文明)→新叡知の時代(新ガイア・コスモス文明)ではないだろうか。結局、偉大なイデア・コスモスの新たな回転・R・Evolutionがやってきたのだろう。これは、政治文化的に言えば、共生の時代であり、小沢一郎が、日本での代表である。小泉首相は、古い代表である。つまり、古い西洋文明現象界の代表である。同一性構造の代表である。ODA ウォッチャーズ氏がいみじくも述べるように、小沢氏の政策は、ポスト・モダン、脱構造主義と呼ぶべきである。(参考:『海舌』「小沢一郎氏は「脱構造主義」或いは「ポスト・モダン」という言葉を使うべきだ。」http://blog.kaisetsu.org/?eid=354882
それは、また、ポスト西洋文明であり、新東洋文明とも言えるだろう。今年は、日本の社会革命の年になると予見したが、そうならないと日本は、断末魔の西洋文明とともに去りぬとなるだろう。また、今年沸騰するフランスの反CPEのデモなど、やはり、根源的には、偉大なイデア・コスモスの回転に拠るのではないだろうか。ただし、主体性が大事である。主体性のはたらきかけがない限り、運動とはならず、古きものとともに、滅びるものとなるのである。日本人の場合が、きわめて、危険なのである。被洗脳羊である。
posted by ソフィオロジスト at 21:13| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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