2006年01月25日

自由主義と不連続的差異論:能動・歓喜・共生的ポストモダン・ヤポネシア平成維新へ向けて

私が、差異というとき、これは、個の自由ということとほぼ同じことである。そう、不連続的差異論は、一種自由主義である。しかし、通常の自由主義あるいは新自由主義とは決定的に異なる点をもつ。それは、差異の共存・共立・共生をも志向するからである。個の自由が同時に、個と個との共存であることを志向するのである。ここが、決定的に異なる点だと思う。
 イギリスそしてアメリカの自由主義は、簡単に言えば、近代的自我主義であり、個人主義だと思う。では、不連続的差異論から見たら、それは、どのように分析できるだろうか。これは、意外に難しい問題である。自我とは何かという問題があるからである。 
 まず、近代的自我であり個人主義的である自我が近代西欧に誕生する。これは、二重である。近代主義的であり、個人主義的である。しかし、デカルト的な合理的な主体というよりは、特異性をもった自我であると思う。つまり、不連続的差異論から見ると、自由主義の自我とは、不連続的差異性を帯びていると思われるのである。問題は、この不連続的差異の性質である。これは、先に二つのポストモダン(言わば、暗黒ポストモダンと光明ポストモダン)に述べたことと関連がある。即ち、反感的か肯定的かの違いが関係すると考えられるのである。二つの不連続的差異が存するということである。反動・憎悪・利己主義的不連続的差異と能動・歓喜・共生的不連続的差異である。ここまで、言うと、自由主義の自我がどちらであるか、ほぼ明瞭である。これは、前者でしかありえない。ニーチェ的に言えば、ルサンチマン的不連続的差異である。(おそらく、ホリエモン氏や小泉氏や竹中氏がこれである。)これは、極めて、破壊的な個人主義である。アナキストのシュティルナーの唯一者とは、ほぼこれに近いのではないだろうか。
 ということで、自由主義と不連続的差異論の「自由主義」の違いがこれで判明したと言えよう。前者は、イデア界から発しているものの、反動となった、いわば、凶暴な個人主義である。それに対して、後者は、イデア界に能動的に回帰した、差異共生共創的な個人主義である。前者は戦争主義であり、後者は平和主義である。一元論と多元論、一神教と多神教の違いとも言えよう。憎悪的であるか、歓喜的であるか。父権的あるか、母権的であるか。天上的であるか、大地的であるか、等々である。
 日本人は、戦後、USAの半植民地となり、アメリカ化した。それは、自我が反動・憎悪・利己主義を帯びたということである。本来、多神教の日本文化(ヤポネシア文化と言おう)は、差異共存主義の文化である。しかし、自覚乏しく、欧米化されて、自己を喪失しているのである。今、日本の政治・経済は大きく揺らいでいる。カオス状態である。結局、新自由主義的ポストモダン路線は、問題が多いのがわかる。これは、強暴な路線であり、他者を排斥するものであり、社会は荒廃する。確かに、新自由主義の小さな政府という理念は、「社会主義」的資本主義に対する処方箋の意味があることは否定できない。しかし、これは、いわば、副作用が大き過ぎるのである。社会をずたずたにするだろう。勝者と敗者の二極化が徹底するだろう。当然である。そして、今や、ライブドアや耐震強度偽装等で、そのダークさが誰の目にも明らかになったのである。
 今年は、戦後日本社会の一番の転換点となるだろう。アメリカの中国重視・多極化の政策という新たな黒船が来航しているからである。平成維新の可能性があるのである。ここで、ヤポネシア本来の文化の復活と、不連続的差異論が説く能動・歓喜・共生的ポストモダンの創造が、蓋然的になってきているのである。ポスト新自由主義としての能動・歓喜・共生的ポストモダン・ヤポネシア平成維新のエネルゲイアが、ふつふつと滾ってきていると思うのである。
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2006年01月03日

日本新多神教へ向けて:日本の部族主義の思考構造について:いかに部族的盲目思考から脱するのか

脱亜入欧で、様々な欧米の思想を取り入れてきた日本ではあるが、一つ取り入れていないものがある。それは、個の思想である。近代主義を取り入れたが、デカルトの個の思想は取り入れていない。欧米の強さは、エゴイズムと同時に、この個の思想にあると私は考えている。後者が、前者の行き過ぎに対して、批判的機能を果たすのである。
 しかし、日本の場合、部族主義があるために、個の思想が排除されるのである。部族主義は、二元論であり、部族への同一性か、部族による他者差別かである。もっとも、日本のよさは、この部族主義をもたない、ほのぼのとして「庶民」の個が生きていることだろう。これは、日本多神教の末裔であろう。この点については、後で述べるとして、今や日本の未来にとっての害悪となっている部族主義を批判的検討しないといけない。
 日本の部族主義とは、一言で言えば、父権主義的部族主義である。これに西欧の近代主義が重なっているのである。つまり、近代主義的父権的部族主義、これが、日本社会の諸権力を構成しているのである。問題は、上述したように、ここでは、欧米文化の根底にある個の思想が欠落していることである。これが、いわば、日本の「権力」の致命的欠陥である。そのために、事象を分析的に知解できないし、また、個の思想のもつ内省・省察・自己考察性が欠落するのである。これは、はっきり言えば、愚である。盲点である。ここで、想像をたくましくすれば、日本が、太平洋戦争という大愚行を犯した精神的要因はここにあると思うし、バブルを生み出したのもこれであろうし、また、今問題の耐震強度偽装の問題にも、これがあると思われるのである。
 この近代的父権的部族思考から脱却しないと、日本は没落・滅亡するだろう。ここで、この思考の欠点を詳述しよう。実は、近代主義批判で、ほぼ済んでいるのであるが、ここで、確認しよう。
 近代主義思考とは、叡知の裏返しのような知である。ここでは、知覚は主に外界に向けられているのであり、自己内界は排斥されるのである。外界知覚が、意識の基盤となるのである。また、言語もそれへ向けられる。問題は、この主客二元論は、主観性に対して盲目で、客観性志向である点である。そして、主観性とは、自然的態度では、否定的なものである。つまり、受動的な感情・欲望によって作動しているのであり、簡単に言えば、反感によって作動しているのである。スピノザの『エチカ』から言えば、「悲しみ」の感情から発しているのである。この反感は、反動となるのであり、これによって、近代主義が形成されるのである。反感・反動的主客二元論である。D.H.ロレンスは、知性の基底には、憎悪があると言ったのは、この意味である。もっとも、知性は近代的知性である。
 結局、近代主義は、主観の反感・反動性に盲目であるのである。自己暴力性に盲目であるのである。他者に対して、攻撃的になるのである。そして、この自己盲目性が、いわば、狂気である。無知である。無明である。近代主義は、このように極めて欠陥のある思考である。
 ということで、この近代主義と父権的部族主義が結びついているのが、日本の権力・支配層である。 極めて危険であることがおわかりになるであろう。ここでは、父権的部族に属さないものを差別し、暴力的に排除する体制があるのである。これは、また、天皇制をイデオロギーとして、日本国家ナショナリズムを形成しているのである。(そして、これが、靖国神社と関係するのである。)
 この近代的父権部族主義は、欧米の個の思想を欠いている、一種全体主義である。これが、日本国民に、とりわけ、子供に破壊的な影響を与えるのである。学校問題、ニート・引きこもり・精神問題、幼児殺害等々の、社会問題の元凶はここにあると見ていいだろう。この日本の権力・支配の近代父権部族主義から脱しない限り、日本は、沈没するだろう。結局、日本の個の思想を肯定していかなくてはならないのである。
 日本の個の思想は、実は、日本多神教に本来潜んでいると思われるのである。森羅万象を肯定する日本多神教は、個的であり、同時に、多元的であると考えられるのである。つまり、日本的個の思想は、他者との共存・共生性を本来もっているのである。これは、日本文化・社会の本当の美点であると思われるのである。おそらく、イギリスにおけるケルト文化、北アメリカにおけるインディアン・「ネイティブ・アメリカン」の文化、イタリアにおけるエトルリア文化、ラテンアメリカにおけるインディオの文化、等に相当するものではないだろうか。日本の先住民文化が、日本多神教・庶民文化の基底・原基ではないのか。「縄文」(東アジア照葉樹林帯)・アイヌ・沖縄等々の文化につながる日本の根源・基層的文化が、無意識裡に、庶民層に、底流しているのではないのか。日本多神教文化が、近代父権部族主義の日本権力とは、異質なものとして存していると見なくてはならないだろう。(『古事記」の大国主は、日本的個の思想を体現している人物のように思える。)
 結局、これからの日本の針路とリンクして、日本人の個の思想を展開するには、この根源的な日本多神教(おそらく、東アジア、アジア、ユーラシア、アフリカ、オセアニア、南北アメリカの土着的多神教、そして、グローバルな多神教に通ずるだろう)を復活させなくてならないと考えられる。この日本多神教は、日本の大地・風土に根差したものであり、同時に、普遍的なものと考えられるのである。不連続的差異論的に言えば、特異性としての日本多神教である。そして、これが、普遍・叡知界であるイデア界に通じているのである。

Let Japanese polytheism resurrect! 
Let new Japanese polytheism be your singular thought!
Let Japanese fundamental culture awaken in your minds!
Awake, awake, Japan!
Tremendous danger threatens us.
The sun is fresh and new everyday.
Wake up to the dawn of New Japan!
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2006年01月01日

ケルト的なものとイデア界:イデア・ロゴス・ヴィジョン

ケルト的なものとイデア界:イデア・ロゴス・ヴィジョン

私見では、イギリス文学とは、濃厚にケルト的要素が強い。(また、アメリカ文学にも、ケルト的要素がかなりあると思っている。また、ヨーロッパ文学にも、かなりあるのではと思える。)煩雑なので、固有名は出さない。
 さて、イギリス文学は、また、確かに、経験論的ではあるが、それ以外に、イデアリスムの要素があると思っている。イデア界から発想している面がある。この点では、ドイツ的と言ってもいいのだろう。しかし、ドイツ文学とは異なり、イデアリスムが、レッシングやシラー等のように発現することはない。経験主義とイデアリスムが混淆しているのである。
 ここで、ケルト的要素とイデアリスムの要素を突き合わせてみると、両者は通じているのではないかと思えるのである。ケルト的要素とは、超越論的自然主義のようなものである。妖精や魔術が出現するが、それは、自然と関係するが、自然を内在的に超越している。だから、超越論的自然主義である。そして、これが、イデアリスムと通じているということである。考えてみれば、イデア界とは超越論的自然である。気をつけるべきは、超越的自然ではないのである。超越神的ではないのである。現象学的である。結局、ケルト的超越論的自然主義とイデアリスムの超越論的自然性は同一ではないかと思われるのである。つまり、ケルトもイデアリスムも、超越論的自然主義ということである。
 そして、これに経験論を加えると、超越論的自然主義的経験論となる。これが、イギリス文学のエッセンスと言えるだろう。
 さて、さらに、私見では、イギリス文学は他の文学と異なる点は、視覚と関係していることである。これは意外におもえるかもしれないが、事実である。フランス文学よりもはるかに視覚性に関係しているのである。詩人であり、版画家であるウィリアム・ブレイク、デザイナーであり、美術・建築の評論のある作家ジョン・ラスキン、ファンタジー作家であるウィリアム・モリス、美術に詳しかった、また、晩年絵を描き始めたD.H.ロレンス等々いるのであり、また、ディケンズの『クリスマス・キャロル』は、鮮明な映像を読み手に喚起するのである。(私はイギリスの文学者は、文学・言葉で、描画していたのではと思うのである。20世紀以前のイギリスの画家よりも、文学者の方が、ある意味で、絵画的だったと思えるくらいである。)この視覚性に関してだが、これは、ヴィジョン・心像と言っていいだろう。
 さて、さらに、西洋文学の表現の特徴であるアレゴリー性を考えると、それは、簡単に言えば、抽象的なものを視覚化することである。そして、イギリス文学には、このアレゴリー性がかなりある。結局、ヴィジョン性とアレゴリー性がイギリス文学の特性と言えるだろう。
 では、先にあげた超越論的自然主義的経験論とこのヴィジョン・アレゴリー性との関係をどう見るのかと言うと、これは、イデアとヴィジョンが通じていると考えることで説明ができると私は考えている。イデアとは、観念ではあるが、本来、ヴィジョンである。この心像的ヴィジョンのイデアがあり、無意識のうちに、それを根拠にして、作家は創作しているのではないかと思われるのである。また、語源的には、イデアideaとヴィジョンvideoは同一である。そう、ここにロゴスを加えてもいいだろう。即ち、イデア・ロゴス・ヴィジョンである。
 ということで、イギリス文学のケルト性、イデアリスム性、視覚性を、結びつけることができた。結局、超越論的自然主義・イデアリスム・ヴィジョン的経験論的文学ということになろう。
posted by ソフィオロジスト at 18:29| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

iPodのデザイナーはイギリス人であった。確かに、ユニークでシャレている。IT革命である。

iPodのデザイナーはイギリス人であった。確かに、ユニークでシャレている。IT革命である。

iPodのデザイナー、アイブ氏は、イギリス人であった。iPod以外のmac pcもデザインしているのである。デザインが確かに一風変わっているし、シンプルでシャレている。私は、デザインが気に入って、ボンダイブルーのiMacを購入したのである。また、それ以降、ずっとマックの製品を購入している。そうすると、このアイブ氏のデザインに私は魅かれ、共感したということになる。アイブ氏は、ロンドン生まれということであるが、Iveは、コーンウォールのセント・アイブズ市St Ivesを想起する。何か、ケルトの血が流れているのではないだろうか。ケルト文化とは、自然指向である。また、曲線指向である。やはり、ケルト的なのではないだろうか。
 St Iveは、St Ivoともいい、フランスのブルターニュ出身である。ブルターニュとは、大陸ケルトの地である。すると、Iveという名前は、やはり、ケルトに関係する。アイブ氏には、ケルトの血が流れていると思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA
http://en.wikipedia.org/wiki/Celt
 因みに、イギリス文化ですぐれたものは、たいがいケルト的である。ビートルズもケルトの血である。
http://saintspreserved.com/Ivo.html#history
http://www.stthomasirondequoit.com/SaintsAlive/id762.htm
http://www.google.co.jp/search?hl=ja&client=firefox-a&rls=org.mozilla%3Aja-JP%3Aofficial&q=St+Ivo&btnG=Google+%E6%A4%9C%E7%B4%A2&lr=

p.s. 
ケルト文様は、黄金比(らせん文様を含めて)や不連続的差異論の三層論(三つ巴文様)やと関係するのではないだろうか。
http//www.eigotown.com/culture/special/backnumber01/special_2001031200_p4.shtml_
http://en.wikipedia.org/wiki/Book_of_Kells
http://www.golden-bough.com/celt.html
http://quwa.hp.infoseek.co.jp/page0311.htm
http://atky.cocolog-nifty.com/bushou/2005/12/post_48d7.html
http://www.slipware.jp/slip.htm
http://www.chitanet.or.jp/users/10010382/index.html-ssi
http://www4.osk.3web.ne.jp/~hkido/col/88b.htm
http://www.failyplanet.com/link.htm
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai02/tz0204.html
http://www5b.biglobe.ne.jp/~miki-s/html/travel02.html
http://www.sanynet.ne.jp/~norio-n/FILE/CELT1.html
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E6%96%87%E6%A7%98&start=0&start=0&hl=ja&lr=lang_ja&ie=utf-8&oe=utf-8&client=firefox-a&rls=org.mozilla:ja-JP:official

イギリス文様
http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/europe/europe-mid/britain/uk-culturre/uk-design/uk-design.htm

ケルト十字は、イデア界を象徴ではないか。
http://www.celtarts.com/celtic.htm

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米アップル社の「iPod」デザイナー、大英勲章を授与

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 12月30日、米アップル社の「iPod」デザイナーに大英勲章が授与された。11月撮影(2005年 ロイター/John Gress)

 [サンフランシスコ 30日 ロイター] 米アップル社の大ヒット商品、携帯型デジタル音楽プレーヤー「iPod」のチーフデザイナーで同社のデザイン担当上席副社長、ジョナサン・アイブ氏(38)が30日、英国のエリザベス女王による、叙勲対象者リストに選ばれた。
 ロンドン生まれのアイブ氏は大英帝国勲章(CBE)を授与された。
 同氏はアップル社での約13年間で、「iPod」以外に、「iMac」、「iBook」やコンピューターのPowerbookシリーズを製作したチームのリーダーを務めた。
(ロイター) - 12月31日17時19分更新

関連トピックス: Yahoo!トピックス iPod Yahoo!トピックス イギリス王室 Yahoo!トピックス 美容、ファッション

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051231-00000455-reu-ent
http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/4569912.stm
posted by ソフィオロジスト at 14:03| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

基本的な4つの力と四大(地水火風):イデア界の4+1=5つの虚力の原構造

ここでは、詳述せずに、ポイントだけを考えよう。プラトンは、四大と正多面体とを結びつけている。
1)火=正四面体(正三角形の面)
2)空気・風=正八面体(正三角形の面)
3)水=正二十面体(正三角形の面)
4)土・地=正六面体(正方形の面)
そして、世界全体が、正十二面体(正五角形の面)である。
http://homepage1.nifty.com/metatron/zone-03/zone03top.htm
http://en.wikipedia.org/wiki/Platonic_solid
そして、ケプラーがこれを踏襲して、独自の宇宙論を立てたのであり、そこから、ケプラーの法則が生まれたのである。ある意味では、瓢箪から駒である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%97%E3%83%A9%E3%83%BC
 とまれ、私は、これらが、物理学の基本的な4つの力と対応しないのかと思っているのである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Fundamental_forces
そして、正十二面体が、ダークエネルギーに対応しないかと思うのである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Dark_energy
 不連続的差異論から見ると、差異の垂直・水平の対極性があり、垂直の排斥力と牽引力、水平の排斥力と牽引力で、差異の4つの力が考えられ、また、4つの力を含む全体の力が考えられる。だから、4+1=5つの力があるということになる。これが、根源的な原動力・発動力である。だから、ここから演繹すれば、4+1=5つの力の構造が発生すると言えるだろう。これが、4つの力とダークエネルギー、四大や五大に対応するのか云々というよりは、この原構造が前提として存在し、それが、メディア界、現象界において、展開されると述べることが、エッセンシャルだと思う。そう考えれば、物理学の4つの力、ダークエネルギーという考え、プラトン立体、四大・五大という考えは、それぞれ、この原構造に一致するということはできるだろう。つまり、構造の問題としては、一致が見られるということであり、それはそれで限定するのである。
 そして、それ以上のことは、精緻に考察していくべきである。つまり、総論から各論ということである。

p.s. 
1.プラスのx軸とマイナスのx軸があるから、プラス5とマイナス5の力があることになるだろう。10(とう)の力である。しかしながら、プラス5+マイナス5=10全体の力が発生するだろう。すると、11の力となるだろう。超ひも理論では、10次元であったが、M理論では、11次元である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E5%BC%A6%E7%90%86%E8%AB%96
http://en.wikipedia.org/wiki/Superstring
2.物理学の基本的な4つの力とは、基本相互作用をもっていることであるが、仮定されたイデア界の4つの力も相互作用をもつのである。
http://en.wikipedia.org/wiki/Fundamental_forces
posted by ソフィオロジスト at 02:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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